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第一回 日本古典文学学術賞受賞、沖本幸子先生インタビュー(3)
March.01.2021PRINT THIS PAGE

Part 3. インスピレーション――沖本幸子×杉浦勢之

杉浦:ええと、何か上手にかわされちゃった気がしないでもないですが(笑)。少し話を進めましょう。やはり後白河院に付き合ったせいで、熊野に行かれるということは意識されたと思うのですがどうですか?

沖本:そうですね。そのころ霊地めぐりに熱中していたということもあるのですが、熊野はやはり絶対に行きたい場所の一つでした。後白河院という人が解らなくて途方に暮れていた時期があったのですが、熊野を歩いた時に私の中であるイメージが立ち上がってきて、分裂していたいろんなものが繋がってくる瞬間がありました。

本当に紀の国、木の国で、古道を歩いても木しか見えない。先が見えない。それでも歩いていると、ふとした瞬間に突然海がぱっと開けることがあるんです。しかも、海以外にはこれまた何も見えない。まったく木だらけの、他に何も見えない閉じた空間から、急に世界が途方もなく開けてしまうというあの感覚……。人々がここから浄土につながると信じたこと、ここが補陀落渡海のメッカだったということがよくわかりました。奥まった地の、木々に囲まれた空間の中にこもって、生まれ変わって、そして、ふっと海につきぬけていくという……。

杉浦:熊野はどこから入ったのですか?

沖本:和歌山の方、滝尻王子から入りました。伊勢路でなくて紀路、中辺路を行きました。

杉浦:本格派で行ったわけですね。

沖本:はは(笑)。

杉浦:熊野はねえ、名古屋のほうから僕は伊勢路に行っちゃいまして、しかも自動車で行きましたので。

沖本:それはもう現代人!

杉浦:そんな形で熊野に入りましたので、当然、最初は伊勢志摩とか鳥羽の海岸とかね、あの視界を遮る海岸の複雑な地形にちょっと感じるところがあったのですが、ずっと走って行ったら、あれ? そうでもないなと、何時の間にか半島めぐっちゃって。

ただ、田辺に抜ける前に、南方熊楠の記念館には必ず寄って行こうと。それだけは決めていて、枯木灘に出たあたりから、これは、という予感がして、記念館は南紀白浜で、海のほうに降りていくと京都大学の臨海研究施設かなんかあるのですよね。円月島でしたっけ? あれが見えるところで、あそこで完全にドーンと来ました。記念館の庭から外を見た時に、折口信夫なんかの山と海が迫るところ、聖地性という。山からはちょっとありますが、まさにその感じがして、その時、小林武史さんの『Hello, Again』という曲に「どこかでまためぐるよ 遠い昔からある場所♪」という行があるんですが、ふとそれが浮かんだりして、初めての土地だったんですが、あーとうとう自分は戻ってきたんだ、と。僕は何時かここで死ぬのだなあと思ったのですよ。

沖本:ははは(笑)。

杉浦:僕、ちょっと髪にウエーブかかっていましてね。きっと南の海から、ヤシの実のように上がってきて、この辺りに……。

沖本:ヤシの実と杉浦先生が一緒に流れ着くという、恐ろしい光景を想像してしまったのですが(笑)。怖いなー。

杉浦:本当にあの場所はね、柳田國男の伊良子岬じゃないけど、自分が溶けるような感覚があった。熊野をちょっと過ぎちゃったのだけど、あの地帯のトポスっていうのは僕なりに味わえたと思うのです。

沖本:熊野というトポスは本当に面白い。宮廷は京都にありますよね。でも何かこう奥の力、内奥の力というものに支えられて宮廷も存在しているようなところがあって……。それは自然の力かもしれないし、地理的な奥という様なもの、そういうものに支えられて成り立っているという感覚が、日本の王権には常にあったと思うんですね。中心だけで成り立っているのではなくて、周縁的なものとか、奥の力に支えられて存在しているという。

そして、それは王権だけではなくて、たとえば宗教思想などにも表れていて、正面に本尊の仏様、阿弥陀仏がいるのに、後ろにもう一つ摩多羅神なんていう怪しい神様を祀ってあったりする。そういう神仏二重構造みたいなことがあって、一つでは絶対とか完全にならない感覚というものを持ち続けている。

だから王権も、奥の力、自然、カオスの力に支えられる必要があって。もしかしたら、今様の流行もそうしたことと関わっていたのかもしれないけれど、ともかく、熊野というのは、院政期、天皇制が一つの危機に瀕していた時代に、王権に自然の力、カオスの力を回復させていくのにどうしても必要だった、そういう濃密なトポスだったんだと思います。

杉浦:トポスということで言えば、お聞きしたかったのは美濃の青墓、後白河院が今様の正統と指定した女性芸能者、傀儡女がいたところですよね。名古屋のほうというのは、しばらく住んでいたこともあって一応土地勘があるはずなんですが、なんであの辺りにそういう集団が出てくるのか、ちょっとわからなかったんですよ。それと大阪のほうになりますが、遊女のいたという江口・神崎もなんでそこなのというのがよくわからなくて、聖地感覚があるかなんていったら、きっと僕の身体性は全然ダメなんで。

沖本:そんなことないと思いますけど。青墓は聖地ではなくふきだまりみたいな……。

杉浦:あー、ふきだまりだとわかりやすい。あれは聖地でなくふきだまりね、それなら非常にストっと落ちました。いや非常によくわかりました。

沖本:芸能者の拠点というのは基本的にふきだまりだと思います。色々なものの交差点であり、見えるものも見えないものも、たまっていってしまうような場所。そういうところにルーツを持っているからこそ、ふきだまったものたちを浄化し得る力を持つというか。

杉浦:聖地と同時にふきだまりというのがもう一つのポイントなんですね。さっき新宿の話を出しましたけど、中沢新一さんが『アースダイバー』で縄文の聖地性をもった「岬」と吹きだまる「谷地」ということを言っていますよね。この辺でいうと、青山と渋谷がそういう関係だというのですが。それだと腑に落ちます。
ところで、沖本先生は沖縄にもしょっちゅう出かけてらっしゃいますが、沖本先生の中で熊野と沖縄って繋がっていたりするのですか?

沖本:実はほとんど繋がっていなかったんです(笑)。

王権にとっての必要不可欠な野性として熊野はあって、別問題として私にとっても野性が必要だったというか……。

中高時代ミッションスクールでしたから、学校に行けば毎日礼拝があるのですが、家に帰れば仏壇と神棚に手を合わせるという生活でした。学校では発声方法も西洋風で、訓練してそういう声で歌うのだけれど、一方で、下町生まれの祖母の影響で三味線を鳴らしたり、歌舞伎を見に行ったりしていて、違う音声世界も持っている。その頃から歌も踊りも大好きだったのですが、分裂したままの少女時代を送っていて、私って何?みたいなこともありましたし。信仰にしても音楽、芸能にしても、何かこう自分の身体感覚にぴったり合うもの、トータルで捉えられるようなものを探していた時期がありました。沖縄はそういう中の一つの選択肢だったんです。

でもどうしても行きたいと思ったきっかけは、今から考えると2つあります。一つは、学生時代に民俗学の宮田登先生の講義を受けていて、そこで久高島の「イザイホー」という祭りの映像を見せていただいて、なにかこう強い衝撃を受けたというか、ものすごく根源的なパワーに触れたように感じて、この場所に絶対行きたいと思ったということがあります。それからもう一つ、これはたいへんお粗末で、奄美と沖縄の違いも知らなかったということなのですが、奄美の島唄公演に出かけて、沖縄ってすごいと思ってしまったという(笑)。

まず舞台で演者が歌いだしますよね、すると、客席から歌声が聞こえてくるわけですよ。一緒になって歌っている。しかも、最後に、「六調(リクチョウ)」って言うんですが、軽快な三線の早弾きが始まったとたんに、いきなり客席から、うわっとたくさんの人が飛び出してきて舞台に上がって一緒になって踊り始めたんです。それを見て本当にびっくりしてしまって……。

島唄、民謡って伝統的なものですよね。ですから、まったく失礼な話なのですが、当時は冷凍保存された古いものという印象を持っていたんです。けれども、ここでは民謡が、伝統芸能が今も生きているという感覚をとても強く持ちまして、なぜ伝統芸能が今も生きているのかを知りたいと思って、それから沖縄も奄美もごちゃごちゃにしながら、いろいろ見に行くようになっていきました。しかも、伝統的な祭りがあり、そこで歌われる民謡があり、一方で、もしかしたらレコード会社の戦略もあるのかもしれないけれども、今のポップスのシーンにも通用するような人達を次々輩出していくような力があるっていう。

杉浦:うん、うん、そうですね。

沖本:この伝統と現代が繋がっているあり方っていうのを知りたくて、伝統が生きていて、かつ現代を押し上げていくような力がある。その力の源、根源は何か知りたいということがあったんです。それで沖縄の島々を一月くらいかけて歩いて、そこで、本当にさまざまな良い出会いに恵まれて、挙げ句の果てに西表島に10年以上も通うことになってしまったという……。

ちなみに、西表に初めて行った時、何をしていたかって言うと田んぼの草取りですよ(笑)。

杉浦:あーそこからなんですね?

沖本:そうです(笑)。郷土史家の石垣金星さんという方を紹介していただいて、電話をして「いつ頃うかがったらいいですか?」って聞いたら、「そうねえ、今日は満月だから夜がいいさ」って言われて。当然時間を言われると思っていたんですが、月がいいから夜がいいって……。ロマンチックなのと、月がこんなに近くにあるのかとびっくりしちゃったんです。で、夜、お祭りの話を聞きに行ったわけですが、泡盛飲みながら、何時間もずうっと台湾原住民とフィリピン原住民の話(笑)。それで、一通り話が終わって宿に送って下さって、そのとき「明日、田んぼの草取りにおいで」と言われまして。私がついまた「いつ頃うかがったらいいですか?」と聞くと、「そうね、太陽昇って、ご飯食べて、日が傾いてその頃」って。

杉浦:いいなぁ、それ(笑)。

沖本:それで翌日2時ごろ行ったのですが、金星さんご本人はいらっしゃらなくて、奥さんに「あら本当に来たの? そこで休んでて」と言われて。4時半ごろになってようやく金星さんが現れて、5時すぎに田んぼに入って。合鴨農法で鴨にやる餌を撒きすぎてボウボウになってしまった田草を採るんだと言って(笑)。ふと自分の足を見ると黒い玉のようなものが付いているんです。何だと思いますか? ヒルですよ! 「あぁヒルね。ペっと取って投げたらいいから」とか言われて(笑)。

杉浦:ヒルってパッと剥がれる? よく喰らいついたら離れないって言いますけど(笑)。

沖本:これが剥がれるのですよ。「エステ、エステ! 毒取ってくれるからいいのよ」と(笑)。

杉浦:エステ……(笑)。

沖本:そこで田草とりをしながら、金星さんが「稲が種アヨー」という歌を静かに歌い始めたんです。稲が丈夫に育つようにと祈る歌。そして、苗を植えてから初穂を収穫して神に捧げるまでは楽器は一切禁止、稲霊を驚かしちゃいけないから、三線や太鼓は使わず、祈りの歌だけを歌っていくのだと教えられました。

歌詞だけとか、祭りの構造だけ知っていても仕方なくて、きちんと生活と繋がって歌があるのだと、その時教えてもらったように思います。文化をトータルで捉えることの重要性に気づかせてもらったというか……。

それから祭りの度ごとに呼んでくださるようになって、祭りの手伝いをしに通いながら、歌や踊り、そして、祈りが生活と結びついているあり方というものを体験して……。それで10年以上も通うことになった、というような。

ですから、その頃は、熊野とも今様ともまったく繋がってはいませんでしたね。

杉浦:なるほど。あまり脈絡なんか気にせず、想いに背中押されて「訪ねて行く」っていうのが大事なんですね。相手は少し迷惑だったりするかもしれないけど(笑)。熊野だと補陀落渡海、あれは東海のほうにいっちゃうわけですが、観音信仰とか、媽祖信仰といった南に広がる海民信仰、そういうところで繋げていったのかなあとちょっと予想していたんですが、どちらかというと興味が並進していたということなんですね。頭でということでなく、もちろん身体的には繋がっておられたんでしょうけれどもね。

沖本:本当にはた迷惑ですよね(笑)。宮古島のシャーマンに「あなた、頭使う仕事はだめよ!」と言われたくらいですから(笑)、私がそういうタイプだということかもしれませんが、当時は、決まった道筋をたどるよりは、もっと根源的なものに触れたいという欲求の方が強かったと思います。特に修士課程の学生の頃は、何かこう、憑かれたような感じで、直接研究とは関係のない聖地とか祭りとか、アジアの国々も含めて色々なところを歩いたり、旅したりしていました。それが、私の中の勘ですとか感受性といったものを育ててくれて、結果的に今様や中世芸能の研究に戻ってきたときにも、そうした体験が非常に豊かに私を支えてくれました。

杉浦:頭使うなって(笑)、いやあ、それはズバっと、何とも鋭いというか、恐るべしというか、それこそ頭真っ白になりますねえ。今沖縄では何かフィールドワークされているのですか?

沖本:フィールドワークといっていいのかどうかわかりませんが、今は金星さんの奥さんの染織家、昭子さんの仕事、彼女は糸も染料も素材から育てて祭りの衣なんかを作っている人なのですが、彼女の仕事を追いかけながら、植物と人との関わりとか、そこから生まれてくる感覚を見つめているというような……。

おそらく、自然の力、カオスの力と人との関係性が知りたいのだと思います。たとえば、中世の能などにも人と自然が交感していくところがあるわけですが、その感覚のよって立つところが知りたいということと、その関係性の中にどのように芸能、身体が介在しているのか知りたいということもあるのかもしれません。

杉浦:それが今なぜか、一番大都会の、それもど真ん中の大学にいると。

沖本:ははは(笑)。だからこそ、と申しますか、私自身が東京出身の人間として何か大きな欠落を感じていたからこそ沖縄に惹かれていったのだと思いますし。
青山とか東京にどう生かせるかはわからないけれど、私にとって沖縄は自分を相対化する座標軸なんだと思うんです。違う文化でも、どこか魅かれるというのは、やはり自分自身の問題意識と繋がっているものがあるからで、今ここで生きているだけだと見えないけれども、もしかしたら、東京の青山の底に広がっているかもしれない何か、眠っているかもしれない何か、そういうものをつかむためにも、全く違う座標軸を持っていた方がいいという気がします。そうした意味では、沖縄も後白河院も、私にとっては今を相対化する座標軸であったという……。

それと、大変おこがましいけれども、西表に対して、沖縄に対して、都会に生きる者としてできることはなんだろうと、もちろん慎重でなければならないと思っていますけれども、そんなことも考えます。

杉浦:今の若い人、学生と話しているとリアリティとかそういうところにすごくこだわるというのがあって。リアルってなんだという。またクリエイティブとか、オリジナルとかいうのも大好きですけれど、いざというと何していいのか全然わからないというのをよく聞くんですよ。それは、異なる座標軸に真に触れていないということなんじゃないか。肯定的なことは全然リアルじゃないのに、異質なもの、嫌なものだけはやけにはっきりしていて、嚥下できないでいるということなのではないかなと。

創造性ってなんだろうと頭で考える前に、まずは自分と座標軸の異なるものときちんと向き合ってみる、そこの中で自分に反応してくるものが大事なのであって、それを丸ごと感じてみることのほうが、よほどリアルであったり、オリジナルで創造的なことなのではないかと思うのですがね。不快感や違和感をさっさと投げ出してしまうと、自分の身体すら感じることは難しくなりますよね。だから、気になるもの、予感であっても、違和感であっても、時に反発であってもいいから、そういうものがあるなら、素直にそのことを受け止めてみることから始めればいいのではないかと思うんですよ。キモいとか、ムカつくなんてことあまり言わないようにしてですね(笑)。

それこそそれが後白河院であったり、熊野であったりするかもしれない、あるいは沖縄の田んぼの中でヒル取りながら沖本先生が味わったものかもしれないし。

沖本:ヒルは勘弁と言われそうですが(笑)。

学生が「リアリティ」とか「クリエイティブ」とか「オリジナル」とかいうことにこだわっているというのは、本当にそうですよね。

今の学生は、インターネットを駆使して情報を集めたり、パソコンを駆使してデザイン性の高いものを作ったり、そういう技術は本当にすごいものがあるなあと感心しています。そして、それはそれですばらしいことだと思うのですが、一方で、技術の習得にばかり熱心であるということが気になっています。

意地悪な言い方をすれば、「すでにあるもの」からなにかの形を作っていくことは、その上手い下手はあるにせよ、訓練すればできることで、本当の意味で「リアリティ」を求め、「クリエイティブ」であること、「オリジナル」であることを求めるなら、もっと根源的なものを追いかけていってほしいと思うんです。

根源的なものといっても、そんなに難しいことではなくて、私で言えば、「芸能とは何か」という問いがまずあって、そこを探っていくうちに、自然とか身体とか、身近だけれども、とても大きなテーマに行き当たっていった。それは、すぐに答えが出るようなことではありませんよね。でも、だから、枯れない、尽きないのだと思うんです。私自身わからないから研究し続けられるということもありますし、わかりきらない大きな何かに包まれて生きているという感覚がありまして、だから、安心できたというか。学生時代にそういうことを感じられるような根源的な体験をしてほしいという思いが強くあります。

たとえば、この夏に学生と一緒に西表島に行きますが、そこで、真っ暗闇を体験してほしいなと思うのです。都会では決して体験できない漆黒の世界。あるいは、月や星の明るさとか。水の力とか。そういう原初的な体験というのは、どこかで根源的な感動に繋がっていて、人の支えになる事があるのですよね。枯渇しない何か根源的なインスピレーションのようなものを、若い時にこそ体感して貰えたら良いなと本当に思います。

杉浦:それものすごく大切だと思いますね。今はむしろ光のない世界を人工的に作っているくらいですから。

お話し伺っていて一つ思ったことは、暗闇ってひとりで向き合うのは、やはり怖いじゃないですか。その時、何も見えなくても誰かの声が聴こえる、声が聴こえているということだけで、ああ自分はひとりじゃないんだと感じられますね。もしかしたら、そういう「声」に支えられ、励まされることで、人は根源的な感覚と向き合う勇気を持つことができたのかもしれないなと。まあ「Stand by me」そのままなんですけど(笑)。是非そういうことを含め、若い人たちには、いろいろ感じてもらえるといいなと思いました。

本日は長時間にわたり、貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

(2009/06/16 15:30-18:00 @沖本研究室)

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